寛永14年(1637)島原の乱が起こる前直前に創祀されたもので百津郷の鎮守であった。このブロンズ観音像は、中国の明末清初時代の渡来仏で、県下では稀な存在の貴重なものという。 鉄道工事のため明治29年頃に百津郷松山平からこの地に遷した。像としても優れた作であり、宗教史上価値のあるものである。