低い河岸段丘上にあり、砦・本丸・二の丸・勢溜まり等が土塁と空濠で囲まれた中世の古城址である。その初源は14世紀にさかのぼるかと推定され、当時の遺構の明らかなことは県下でも数少ないと言われる。 天文(1532 ~ 54)の頃、大内義隆の軍が当地方に進入したとき、この城で防戦して奇手の将麻生某を討ち取って勝利を得た。